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第十五話 居候②

Author: 柳アトム
last update Last Updated: 2025-08-07 04:27:57
 結局、ごはんの炊飯が間に合わず、夕食には冷凍してあったごはんを電子レンジで温めて食べた。

 家に一人でいると気分も塞ぎがちだが、誰かがいてくれると安心感がある。

 それが自分の母であるならなおのことだ。

 でも、それでも私は常に不安を背負った状態にあり、夕食を口に運ぶ箸も止まりがちになる。

「お母さん、私、この後、どうしよう……」

 私はポツリと漏らす。

 母は私の弱音に狼狽えず、変わらず一定のペースで夕食をせっせと口に運び続けた。

 総合病院で救命救急士を務める母は、緊急時や繁忙時に備え、いついかなる時も自らのペースを堅持する姿勢が染みついている。

「宗司くんとはお話しはできないのね?」

 母にそう問われた私は宗司の名前を聞いて身を強張らせる。

 宗司の名前を聞いただけで、様々な感情が沸き起こり、反射的に私の身体が防御状態になってしまうようだ。

「毅(つよし)さん───つまりあなたのお父さんに相談してみるのはどう?」

 父の名前を出されると、私は宗司以上に身体を強張らせ「それは無理! とてもできない! お父さんにはまだ私が妊娠したことも伝えていないの!」と半ば叫び声のように母の提案を拒絶した。

 私が取り乱しても、母は食事の手を止めることなく、淡々と夕飯を口に運び続ける。

「わかったわ。安心して、充希。誰もあなたを急かしたりしない。どうすればいいのかゆっくり時間をかけて考えましょう。それまではずっとここに居ていいから、気兼ねなくのんびり過ごしなさい」

 最後に母はお椀に残った鶏肉のスープを飲み干すと、お箸を置き、両手を合わせてご馳走様をする。

 そして母はテキパキと自らの食器を重ねるとキッチンに運び、手慣れた手つきでサッと洗うと水切り台に並べた。

 さらに私が夕食の支度で使用した調理機器や調理台を片付け、キッチンを清潔な状態に戻す。

 その様子を横目に、私はボソボソと食事を口に運ぶ。

「でも、一人で家にいると気分が塞いでしまうわね」

 母がキッチンから私に呼びかける。

 私は返事の代わりに溜息をついた。

 確かに母が家にいるときは少しは気分が紛れるし、不安で圧し潰されそうになった時はすぐに話を聞いてもらえる。

 でも確かに一人になった時は───。

 私はまた一人になった時の事を想像して、身震いをすると共に、恐怖を感じる。

「充希は医療事務の資格を持っているわよね
柳アトム

------ 【登場人物】 ------ ▼杵島 充希(きじま みつき)/旧姓:大和田 充希  宗司と三年という期間限定の偽装結婚をするが双子を妊娠。  これを機に、偽装結婚を解消し、本当の夫婦になることを宗司に提案しようとするが、妊娠が判明したその日に、宗司から離婚届を突きつけられる。 ▼杵島 宗司(きじま そうじ)  充希の夫。充希とは幼馴染で、同じ中高一貫校に通った同級生。  充希が妊娠したことを知らずに離婚届を突きつける。 ▼藤堂 幸恵(とうどう さちえ)  充希の担当産婦人科医で親友。  充希、宗司と同じ中高一貫校の同級生で剣道部の部長。 ▼篠原 彩寧(しのはら あやね)/大和田 彩寧  充希の異母姉妹の妹。  中高一貫校の先輩である宗司が好きで、執着している。 ▼大和田 毅(おおわだ つよし)  充希の父。  大和田グループの社長。 ▼篠原 真紗代(しのはら まさよ)/大和田 真紗代  彩寧の母。大和田 毅の元妻。  自らの浮気が原因で大和田家を去る。 ▼忽那 碧(くつな みどり)  充希の産みの母。充希の父親の大和田 毅とは相思相愛。  総合病院の救命救急士。

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